「秋の自然の美しさの中で」 |

「秋の自然の美しさの中で」 伊藤幸史
秋も深まるこの季節。たわわに実った稲穂が黄金色のじゅうたんを織りなし、秋風に揺れるススキは、過ぎ去った夏に向かって「さよなら」を言い、また同時に、まもなく訪れる紅葉の季節に向かって「おいで、おいで」と手招きしています。
こんな時期に思い出す一つの詩があります。キリスト教詩人、八木重吉の「素朴な琴」と題する詩です。
この明るさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐えかね
琴はしずかに鳴りいだすだろう
自らの心がこのような「素朴な琴」に少しでも近づければと願います。秋の美しさを通して神様のいつくしみに気づき、おのずから福音の音色を奏でられるようになることを願います。
しかし、日々慌ただしく暮らしている私の心は、残念ながら素朴な琴にはほど遠い「張り詰めた針金」の心。先日も、ある信者さんからLINEで「今日は中秋の名月。お月様がきれいですね!」というメッセージをいただき初めて外に出て、夜空に輝くお月さんの姿に気づきました。夜空を仰いで月を眺めるなんて何カ月ぶりのことだったでしょう。いつもせわしく動き回り、凝り固まった頭と心が、柔らかな光の中で徐々にほぐされていきます。
お月様の柔らかな光は、イエス様のまなざしに通じるように思います。そもそも自ら輝く太陽のようにこの世を照らし在らしめる光、神であった御子キリスト。その方が私たちを救うためにヘリ下って人となり、“神の光の映し身”として愛とゆるしをこの世にもたらして下さいました。そんなイエス様のまなざしは、“太陽の光を映し出す月の光”に似て(それ以上に)、温かく優しく私たちを包んで下さる。闇夜の中で孤独に過ごす私たちを、いつくしみの光で導いて下さる・・・。月の光を通してイエス様を讃えることができるような、そんな「素朴な琴」の心に近づけることを祈ります。
八木重吉には「祈」と題する、次のような詩もありました。
ゆきなれた路の
なつかしくて耐えられぬように
わたしの祈りのみちをつくりたい
自然と共に自然から学びつつ、また自然を通して神様との出会いを深めていく。秋の自然の美しさの中で、そんな祈りの路をご一緒に求めてまいりましょう。