2020年 07月 18日
ブログが遅れた言い訳 |
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by itokoshi
| 2020-07-18 19:14
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2020年 07月 18日
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by itokoshi
| 2020-07-18 19:14
2020年 07月 09日
さて先日、いつものようにこの国道を通って風の家に向かっていた時のこと。眠気覚ましも兼ねて車中でラジオを聞いていると(最近はトンネル内でもスマホを使ってラジオを聞くことができる)ある番組で気鋭の建築家が電話インタビューを受けていた。その中でインタビューアーが、次のような質問を投げかけた。「今はコロナで大変な状況ですが、こうした時期に建築家として新たな建築の形を考えていらっしゃいますか?たとえば、入り口に手洗い場を作るとか?・・・」しばしその場が和やかな笑いに包まれる。その後、彼がどんな答えをするだろうと耳を傾けていると、建築家は落ち着いた口調でこんなことを語ったのだ。「建築って基本的に鈍臭いんですよ。テンポがずれますから。建物をしっかり建てようとすれば、年単位で時間がかかります。すると、どうしてもある時期のある必要性からずれてしまう。状況が変化しますからね。だから僕は、ある時点での必要性じゃなくて、時代を超えて色褪せないものを大切にしたいですね」。 小谷への道は暗いトンネルの上り坂が続く。トンネル内を照らすほのかなライトの明かりを眺めがら、今聞いた建築家の言葉を心の中で繰り返す。”時代を超えて色褪せないもの”って何だろう、時代を超えて大切なものって一体何だろう・・・。国道148号。そんなことを思い巡らすのに相応しい一本道。
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by itokoshi
| 2020-07-09 17:35
2020年 07月 02日
しかし当初から学舎では「拡大した田んぼは高価な機械作業には向いても、人力の”手植えの田植え”には広すぎて不向き」とか「自然な用水路がU字溝になれば趣もなく、生き物がいなくなる」そして何より「村がこんなに高齢化しているのに、田んぼを拡大して一体誰が世話をするのか?」という反対意見があった。そして案の定・・・田んぼは大きく四角く整備されたものの、今では”耕作放棄”され、草っ原になっている場所が点在する(写真参照)。 今、地方で農作業を主に担っているのは、以前取り上げた0さんのような高齢者(しかも後期高齢者!)なのだ。当然のことだが、多くの高齢農家はその広大な土地を持て余す。そしてもし、若者が就農して家族を養おうとしても、今の日本経済で農業だけで家計を成り立たせるのは至難の業だ。スマホや家電には何万円も惜しみなく金をかけるが、食費食材は切り詰め買い叩き、安ければ安い方が良い、と豪語する消費者がこの流れを加速する。都会の学校でもこうした地方の現状や、農業漁業体験など、まともに教えない。訪れる子供や青年に田んぼや牛舎を見せることがあるが、すぐに「キタナイ、クサイ!」と騒ぐ者がいる。そんな時、今でも農民は”見下され差別されている”と悲しくなる。現在日本では、多くの農村で外国人技能実習生が働いている。「キタナイ、クサイ」労働は、貧しい「ガイコクジン」に働かせておけば良い問題なのだろうか? 耕作放棄され、草っ原になった田畑を眺めながら思う。「国破れて山河あり」という。では「山河(田畑)破れて国は?」…と。
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by itokoshi
| 2020-07-02 15:54
2020年 06月 25日
B師はイタリアのジェノバの富裕な家庭に生まれた。若い頃は医学のみならず造船(建築)の資格も取るような博学多才、しかもアルプスの絶壁をロッククライミングで登るようなスポーツマンでもあった。そんな将来を嘱望された青年がフランシスコ修道会に入会し、司祭(神父)になったのが29歳。そして2年後の31歳の時、今から66年前に戦後間もない貧しい日本へと派遣されたのだ。 驚くべきことにB師は来日以来、一度も祖国イタリアに帰国しなかった。交通手段が発達した現在では珍しいが「一度異国の地に赴いたなら、死ぬまでその地に留まる」という伝統的な宣教師としての生き方を貫いた。そんなB師にとって、日本での宣教活動は「生きがい」と同時に「死にがい」でもあったのだと思う。死をも覚悟してその生涯を捧げたからこそ、柏崎でのゼロからの教会共同体の立ち上げと約60年にもおよぶ発展継続、さらには数々の教会建築や80年代のベトナム難民の受け入れ活動等々、多彩で活動的な生涯を送ることができたのではなかろうか。もちろん、その「死」への意識が「生」への活力へと転じている背後に、死をも超越する「神」への信仰があることは言うまでもない。新約聖書のマタイ福音書には次のような言葉がある。「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る」。 葬儀に与りながら考えた。自分は「死にがい」を感じているのだろうか?自らの「死」を意識しながら活き活きと「生きて」いるだろうか?と。 #
by itokoshi
| 2020-06-25 19:55
2020年 06月 15日
ところで話は変わるが、過日、国の専門家会議が「新しい生活様式」を提言した。提言当日、私はその内容をある民放ニュース番組で知ったのだが、その中に「人との間隔はできるだけ2メートル空ける」「まめに手洗い手指消毒」などに加えて、「食事は対面ではなく横並びで座ろう」というものがあった。その時、この提言にコメントした出演者(感染症の専門家)の言葉に、私は思わず耳を疑ってしまった。彼は次のようなことを言ったのだ。「こうした生活様式は、コロナが終息したあとも感染症対策として、ずっと続けた方が良い新しい生活スタイルです…」。その人は一般家庭においても、こうした食のスタイルをずっと続けるべきだと言いたげだった。 確かに現状においては、コロナの蔓延防止そして医療崩壊を防ぐことは最優先課題である。従って、緊急対策として外食等で「食事は対面ではなく横並び」を勧めるというのは致し方ないことだと思う。しかし、このコメンテーターのように、そうした食べ方を一般家庭で(幼い子供もいる!)コロナ終息後もずっと続けるべき「新しい生活スタイル」とまで言ってしまうのは、いかがなものだろうか?それは「食」の意味をあまりに軽んじた発言のように思えて仕方がなかった。 文化人類学者の石毛直道氏や人類学者で京大総長の山極寿一氏が述べているように、人間にとって「共食」することは 他の動物と人間を区別する極めて大切な要素である。そして「共食」をすることによって人間は、コミュニケーションや共感力を発達させ「家族」さらには「共同体」のつながりを維持してきた。当然その「共食」とは、何らかの形で食卓を囲み、相手の顔と向かい合う「対面行為」を含むものだろう。相手と「1メートル以上距離を取って横並び」した食事は「共食」ではない。そんな形が家族での「ニューノーマル」になれば(ニューノーマルという言葉は、元来”経済”用語)家族は崩壊し、共同体も崩壊し、やがては長い年月をかけて培ってきた人間性も崩壊の危機に直面する。それほど「食卓を囲んでの共食」は大切なことなのだ。 あのレオナルド・ダビンチの絵を見て、イエス・キリストの「最後の晩餐」の姿を「横並び」の食事と誤解している人たちがいる。前述の専門家会議の提言を受けて、インターネット上には、「まるであの『最後の晩餐』の絵のよう」という書き込みもあった。しかし、あの「横並び」の絵は、あくまでダビンチ絵画独自の「構図」から生まれたもので、実際のイエスの「最後の晩餐」が「横並び」だったわけではない。イエスは当時の現地の風習に従って床に身を横たえてはいたが、確かに弟子たちと「食卓を囲んで対面し」食事をしていたのである。さらに日常の食事においても、疎外され苦しみ悩む人々と食卓を囲むことを大切にされていた。なぜなら「食卓を囲み共食すること」が、悩み苦しみ人々への共感を体現する行為であり、それが人々を慰め力づけることを知っていたからだ。「最後の晩餐」におけるイエスの深意の一つもそこにある。 なにはともあれ、実際のイエス・キリストの「最後の晩餐」は横並びではない。コロナの事態が早く収束し、誰とでも気兼ねなく「食卓を囲み共食できる日」が再び訪れることを心から願っていている。我々が「人」として生きるために。
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by itokoshi
| 2020-06-15 18:20
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