「ウクライナの悲しみと金子みすゞ」 |
「ウクライナの悲しみと金子みすゞ」 伊藤幸史
最近は連日、ロシアのウクライナへの軍事侵攻が大きく報道されています。日々悲惨なニュースを目の当たりにしながら、どうして私たち人間はこうした戦争という愚行を起こし続けるのか、またそれを止められないのかと心底悲しくなります。そんな中で思い出すのが、先日あるNHKの番組で取り上げられていた、童謡詩人金子みすゞ(1903~1930)の次のような詩です。
「大漁」
朝焼小焼だ 大漁だ
大羽鰮(おおばいわし)の 大漁だ。
浜は祭りのようだけど
海のなかでは 何万の
鰮(いわし)のとむらいするだろう。
その番組では、この詩に関しておおよそ次のようなことが語られていました。「大正デモクラシーの時代に花開いた、みすゞの童謡詩は、やがて昭和に入り軍国主義の高まりの中で注目されなくなっていく。その理由の一つが、みすゞの詩にある弱き者への寄り添いと視点の逆転だった。それは例えば、“日本兵がお国のために手柄を立てる喜びが、相手の国では愛する家族が亡くなる悲しみになる”という発想につながる。こうした視点の逆転をうながす詩は、軍国主義の時代には必要とされなかっただろう」と。
かつて日本も経験した戦争と暴力の時代。ご紹介したような、小さな魚のいのちにも寄り添い、視点の逆転により相手への共感をうながす金子みすゞの詩は注目されることがなかったのです。しかし、だとすればこうした詩の中にこそ、私たち人間が戦争や暴力という愚かな考えや行動から回心するための大事なヒント、つまり弱き存在に寄り添う姿勢や、苦しみや哀しみへの共感を育くむ力があるのではないでしょうか。それはまさに「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである(マルコ2:17)」と語ったイエス様の逆転の教えや、「互いに愛し合いなさい(ヨハネ15:12)」「剣をさやに納めなさい(ヨハネ18:11)」とおっしゃった、イエス様の愛と共感そして平和への思いに通じるものがあると思うのです。
金子みすゞには次のような詩もあります。
「積もった雪」
上の雪
さむかろな。
つめたい月がさしていて。
下の雪
重かろな。
何百人ものせていて。
中の雪
さみしかろな。
空も地面(じべた)もみえないで。
こうした、すべての立場や存在の持つ苦しみや哀しみへの共感。これこそ、私たち人間を暴力や戦争という悪の誘いから救う力の源だと思うのです。
世界的な戦争への不安や危機感に包まれたこの四旬節。童謡詩人金子みすゞの詩を通して幼子の心に立ち返り、一日も早い戦争の終結と世界の平和を祈りたいと思います。(終)