2021年 07月 11日
普請帳 |
建築の経緯は、二枚目の写真にあるように、まずは荻原さんのお父上が、手狭になった集落内の旧家屋から移転して、この場所に新家屋を建てたいと考えたことに始まる。しかし、この場所は集落で大切にしている八幡社(武運の神を祭る)に近く、畏れ多くて躊躇されたようだ。そこで悩んだ結果、この八幡社より社格が上の”更級(さらしな)郡の八幡社”に詣でて、そこの神官に相談をした。その結果「特に問題ない」との回答を得、加えて荻原家の繁栄安康を祈ってもらったことで安心を得、当地での新居建設を開始した・・・と書かれている。さらに三枚目の写真の”結びの言葉”にも、八幡社に対する畏敬の念、「神様にちゃんとお伺いを立てたので、どうぞここに建物を建てる事をおゆるし下さい」との思いが述べられており、当時の人々の素朴な信仰心の深さが読み取れる。こうした信仰のあり方は、今も村の所々に残っている「庚申塔」や「馬頭観音像」にも垣間見られるものではなかろうか。
こうして今から100年程前の文章を読んでみると、往時の人々にとって、「目に見えぬ世界」や「あの世(死者そして死後の世界)」がとても身近な存在だったことを改めて思い起こす。それが戦後いつの頃からか、目に見える世界とこの世に人々の関心が集中し、「目に見えぬ世界」や「あの世」のことは忘れ去られていった。
最後の二枚の写真は今の八幡社の様子。数年前に八幡社は解体され、その御神体は集落の公民館内に移された。かつて人々が熱心に通い祈った場所は、今は苔むし、訪れる人の姿を見ることはない。何か寂しいような、そして現代社会の問題点を暗示しているような。・・・
by itokoshi
| 2021-07-11 18:13