2020年 10月 25日
地の塩の道③「信州風の家までの25㎞」 |





天神道越えは、少し急いで約3時間で歩き終えた。続く石坂越えは、国道148号沿いにある「道の駅小谷」の裏手の旧道から始まる。30分ほど歩くと「来馬(くるま)」という集落があり、そこには来馬温泉があった。もし糸魚川から3日連続して歩き続け、疲れているようだったらここで3泊目を過ごすのも良いかもしれない・・・そんなことを考えながら歩みを進める。
左手に見える姫川の広大な河原(と見える場所)は、かつては来馬集落の中心地で豊かな田園地帯だったとのこと。それが1911年(明治44年)に起った「稗田山(ひえだやま)大崩落」で土石流に飲み込まれ多くの犠牲者を出したという。そこから浦川という支流の川沿いを稗田山に向かって歩いて行った。ここは、かつてこの辺りを覆い尽くした土石流の表面部分だろう。
橋を渡り更に進んで行くと、道ばたに小さな公園のような場所がある。そこは作家幸田文(1904~1990)の文学碑だ。幸田は晩年こうした崩落に関心を持ち、この地を含め全国各地の崩落現場を訪れて文章を残したという。没後に『崩れ』という著作まで刊行されている。著名な文学者がなぜこの地に関心を持ち、文学碑まで残されているのだろう?『崩れ』という著作を読めばその謎が解けるかもしれない。そしてまたその本が、今後の「地の塩の道」のあり方を考える上で、貴重なヒントを与えてくれるかもしれない。帰宅後、早速『崩れ』を注文してその到着を待ちながら、心の中でそんな期待を抱いている。
by itokoshi
| 2020-10-25 01:45