2020年 09月 12日
大切なもの |

それは別にキリスト信者である無しにかかわらない。現代社会で悩み苦しむ人々が、風に導かれ、真の癒やしと安らぎに出会う、そんな霊性が生まれ育まれる場になるためにはどうすれば良いのか・・・それを模索しながら改修作業を進めて行きたいと思う。
ところで昨日の夕方、作業に疲れて1階の居間で休んでいると、突然、共働学舎メンバー4名が風の家を訪れてきた。近くの田んぼで草刈りをしていて、休憩用のおやつをどこで食べようかと考えたら、ふと風の家が頭に浮かんだとのこと。「こちらも休憩中だから遠慮なく入って。一緒にお茶しよう」と中へ招き入れた。「今日はどんな作業だった?」「学舎の最近の様子はどう?」こうして互いの様子を語り合い、ゆっくりお茶をしてから帰って行った。その後、思い至ったことがある。
それは、やはり信州風の家の歩みには、こうしたハンディーを抱えた人々との関わりがとても大切だということ。世の中で弱い立場に追いやられている人や物事にこそ、新たな霊性が生まれる源泉があるということだ。それはさらに、過疎化が進み消滅の危機に瀕している小谷村の文化にも言えることだろう。わらや竹細工、織物や郷土料理、そして炭焼きなど・・・現代社会の中で見捨てられ忘れ去られた文化風土にも、実はそこに新たな霊性の萌芽が秘められているのではないだろうか。そんな体験も、いつか風の家で出きるようにしたいと願っている。
以前、ブログで紹介した新約聖書「コリントの信徒への手紙」には次のような言葉がある。「体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです」。今の世の中で弱く惨めに見え、またそのように扱われている部分。そこにこそ、これから信州風の家を支え育む、新たな”霊性の核心”が潜んでいる。
by itokoshi
| 2020-09-12 17:14