2020年 06月 25日
「生きがい」と「死にがい」 |
B師はイタリアのジェノバの富裕な家庭に生まれた。若い頃は医学のみならず造船(建築)の資格も取るような博学多才、しかもアルプスの絶壁をロッククライミングで登るようなスポーツマンでもあった。そんな将来を嘱望された青年がフランシスコ修道会に入会し、司祭(神父)になったのが29歳。そして2年後の31歳の時、今から66年前に戦後間もない貧しい日本へと派遣されたのだ。
驚くべきことにB師は来日以来、一度も祖国イタリアに帰国しなかった。交通手段が発達した現在では珍しいが「一度異国の地に赴いたなら、死ぬまでその地に留まる」という伝統的な宣教師としての生き方を貫いた。そんなB師にとって、日本での宣教活動は「生きがい」と同時に「死にがい」でもあったのだと思う。死をも覚悟してその生涯を捧げたからこそ、柏崎でのゼロからの教会共同体の立ち上げと約60年にもおよぶ発展継続、さらには数々の教会建築や80年代のベトナム難民の受け入れ活動等々、多彩で活動的な生涯を送ることができたのではなかろうか。もちろん、その「死」への意識が「生」への活力へと転じている背後に、死をも超越する「神」への信仰があることは言うまでもない。新約聖書のマタイ福音書には次のような言葉がある。「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る」。
葬儀に与りながら考えた。自分は「死にがい」を感じているのだろうか?自らの「死」を意識しながら活き活きと「生きて」いるだろうか?と。
by itokoshi
| 2020-06-25 19:55