2020年 05月 30日
「教育は不便なるがよし」 |
この真木共働学舎はかつて真木集落と呼ばれ、12世帯、総勢100名程の人々が生活していた場所である。歴史は少なくとも江戸時代、一説には400年前まで遡るとも言われる。一時期は養蚕業も盛んで山間地域の中心集落として栄え、小学校の分校まであったという。しかし、高度経済成長の流れの中で下山する世帯が出始め、昭和40年代後半には全集落が下山することになった。その頃ちょうど共働学舎創立者の宮嶋眞一郎氏がこの地を訪れ、その景観の美しさに感動。無人となりつつあった集落の土地と家を借りたことから真木共働学舎の活動が始まった。それは、風の家近くにある「立屋共働学舎」の開設から一年後のことである。
真木共働学舎の大きな特徴の一つは、その「不便さ」にあると言って良いだろう。上述のように、その場に行くまでに一時間も歩かねばならない。そしてガスや電気は通っているものの、ご飯を炊くにも未だカマド。薪を使って時間をかけて炊いている。さらにトイレは汲み取りで、排泄物が溜まれば汲み出して肥料に使う。そんな生活の根幹には、かつて眞一郎氏が教員だった「自由学園」の精神が流れている。その一つが「教育は不便なるがよし」という言葉。これは自由学園創立者、羽仁吉一氏(もと子氏の夫)の言葉だという。確かに、便利さに囲まれていては人は自ら考え工夫することがない。また互いに助け合うことの大切さも、自らの不完全さを知る機会も減るだろう。こうした短くも的確な信念に基づく学校教育をうらやましく思う。
真木での作業を終えた帰り道。木漏れ日の中をそよ風に押され、下り坂を気持ち良く降りてきた。「人生の下り坂」といえば、通常あまり良い印象を持たれない。しかし真木で過ごした後、穏やかな気持ちで下り坂を歩いていると、通常の見方とは違った視点があることに気づかされる。「不便」もまたしかり。「教育は不便なるがよし」。
by itokoshi
| 2020-05-30 16:39