2020年 05月 20日
Oさんの昔話 |
最近、「信州風の家」の周りにある畑の手伝いに行っている。畑の持ち主は、元家主のOさん。御年86歳。ジャガイモの種イモの植え付けから始まり、ピーマン、ナス、きゅうり、かぼちゃ、夕顔の苗、そして一昨日は黒豆の直播。Oさんは農作業を教えながら、昔の生活を色々話してくれる。「昔は家(今の風の家)に馬を飼ってたんだ。家の中に一緒に住んで。馬は便利で頭がイイよ。私の小さかった頃は馬で田畑を耕す。馬は叔父さんの言うことは素直に聞くが、子供の私なんかチラッと見ただけでバカにして動かない。・・・それから、あそこの用水。昔はもっと水量があって水車が三つも回ってた。その中の臼で米を搗いて精米するんだ。燃料なんか使わないよ。自然の力だ。昔の生活は大変だったが、何でも無駄無く使ったな・・・」今のあり方とかけ離れた昔の生活。そんな話を目の前にいるOさんから聞いていると、不思議な気持ちになってくる。さらにこんな話もしてくれた「戦争の頃、この村には東京のキタミというところから小学生が学校ごと疎開していた。みんな腹空かせてたよ。授業終わると、私のところにみんな寄って来て『O君、なにか食べるものない、食べるものない』って何度も聞いて来るんだ。彼らの食べてた物って言えば、お湯の中にコメが数粒入ってるだけの粗末な食事。そりゃあ腹空くよ。可哀想だったなあ。あんまり可哀想になって、何人かを家に連れてって、釜の中の残り飯をコッソリ食べさせたんだ。結局、その飯を全部食べちゃったんだが、それでも『O君、もっとない。もっとない』って言ってくるんだ。あれには困ったなあ・・・」今から75年前、この地の子供にはそんな現実があったのだ。その時ふと、先日行ったドラッグストアの貼り紙が思い浮かんだ。そこには「マスクありません。入荷の見込みも未定です」と書いてあった。
今、確かに世の中マスクが足りなくて困っている。本当に苦労している 。でももし、あの「マスク」が「米」や「食料」だったら・・・。そんなことを考えると、なにか空恐ろしくなってきた。そんな私の不安を知ってか知らずか、Oさんは苗を植え続ける。「田舎の生活は大変だった。でも、川に行けば10匹ぐらい魚が釣れたよ」と言いながら。
by itokoshi
| 2020-05-20 14:05