2020年 05月 16日
ミサは不要不急? |
たとえば現在、高齢で施設に入っている親を自粛要請のもと控えている方々もいるでしょう。また、経済的貧困にあえぐ子供のための、子供食堂開催を自粛せざるを得ないでいる方もいらっしゃると思います。こうした大事な親への訪問や、子供への食事提供を泣く泣く自粛している方々の気持ちは、決して自らの行為を”不要不急”と捉えて自粛しているわけではなく、今の時期、病弱な親や貧困にあえぐ子供たちの健康を守るという「他者への思いやり」が”必要緊急”ゆえに、苦渋の決断として自粛をしているのだと思います。自粛という行為の根本動機は、”不要不急”以上に「他者への、その中でも特に社会的弱者への思いやり」という優しさではないでしょうか。そして教会が公開ミサを中止しているのも、まさにこの点に基づくのです。
ミサは決して”不要不急”ではありません。必要不可欠なものです。しかしその公開以上に「他者への、その中でも特に社会的弱者への思いやり」すなわち「愛」がキリスト教では大切なのです。ミサは「愛」の現れそのものです。その「愛」に反して、現時点ではミサを公開することはできないのです。
さらに、この「他者への思いやり」が必要とされるのは、コロナ下の今に限られるものではなく、以前もそして将来に渡っても、私たちが平和な世界を築いて行くため必要不可欠なものでしょう。今回のコロナによる悲しい出来事を通して、私たちが今まで以上に「他者への、その中でも特に社会的弱者への思いやり」を大切にする世の中を実現する道具となっていくこと…それがコロナ後の世界を生きる私たちの役目ではないでしょうか。「信州風の家」がそのための一助となることを願っています。(追記:新潟教区では5月24日から、日曜の公開ミサを感染対策を取りつつ再開する予定です)。
by itokoshi
| 2020-05-16 13:48